天心苑に集う兄弟姉妹
高裁による解散命令と天法による判断と執行
天心苑祈祷会に参加するたびに、今日も食口の皆様にお伝えする内容を与えてくださいという心情で臨みます。そのたびに極めて適格な内容を受け取る経験を何度もしました。これは私のみ言の能力をはるかに超えているといつも感じます。それは啓示ではなく、天から来る閃きと言ったほうが近いと思います。下記は天心苑祈祷会に参加された方々に向けて私が連日配信している文章を集めたものです。
今回の高裁の判決によって衝撃を受けた方も多いと思います。しかし、天の見解は大きく違うようです。その内容を皆様にお伝えいたします。
喜びの到来を皆様とともに分かち合いたいです。
2026.3.4
今日もご参加くださりありがとうございました。
天宙史に残る一日となりました。精誠を捧げて願ってきたことが反対の結果になる時は落ち込みます。わたしも夕方まで鬱々とした気持ちでしたが天心苑祈祷会で一気に晴れました。
どんな時でも状況を正確に把握するためには巨視的な観点が必要です。
以前はもっと多くの献金が集まっていました。しかし問題が起こる気配はほとんどありませんでした。今から考えると天が出動して守ってくださっていたと思います。
今回は神様の役事はなかったのでしょうか?
この観点がとても重要だと思います。
当然のことですが神様も真の父母様も食口のためだけに役事されるわけではありません。神様も真の父母様も知らない、それどころか無神論で真の父母様を否定する人たちも必死で救おうとされています。
救うための一番良い道は御言を伝えて修練会に参加してもらうことです。しかしこのラインには乗らない人が大多数です。
御言が分からない、ピンと来ない、御言を聞くと眠くなる、あるいは反発する人、聞くのを拒否する人もいます。
このようなダイレクトな御言では復帰できない人達をどうすれば良いか、神様と真の父母様の苦悩があります。
そこで悪霊の再臨復活の原理を用いる道を選択することになります。
安部首相暗殺事件が起こってから教会に対する驚くほどの非難が始まります。このような讒訴の盛り上がりが一気に起こったのはどうしてなのでしょうか?これが呆れるほど急速に日本全体の機運となりました。
その理由は悪霊が一気に地上に降りてきて悪神の業を行ったからです。これは一般の人には理解できないことですが、現象の背後には性相的原因があるのです。
『この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。』「宇宙の根本」 第二章 人間創造と愛の理想の完成 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる
つまり神様の裁可によって悪霊の役事が日本全体に巻き起こったのです。
神様がなされたこの役事が実るためにはアベルの立場にある私たちが与えられる迫害と苦痛を甘受、感謝する必要があります。
神様の目から今回の解散命令の流れを見ると、打たれる立場の食口がその苦痛を甘受、感謝できる基準にあるかということが大事になってきます。
実際、解散命令にまで至った事実を見れば神様が私たち食口にこの基準があると判断されたことがわかります。
悪霊の再臨復活の原理は、打ってくる悪霊や悪の勢力を救うだけではなく、打たれる側の地上人も救うことができる強力な法則です。
この原理を実行できる時が来るまで私たち食口の成長を待っておられたということになります。
この原理を発動された神様の心情に応えるためには落胆で終わるのではなく、徹底して甘受、感謝することが大事なのです。
そうすることで悪霊や悪の勢力が復帰されるのです。そして私たちも復活するのです。
今回の私たちの相手は文科省であり、国であり、ほとんどの日本国民でした。つまり日本全体が私たちを打って来たのです。
これを裏返せば私たちが甘受、感謝することで日本の霊界も含めた日本全体を復帰する条件を立てることができると言うことです。
こう見ると解散命令に至る一連の流れは神様の巨大な役事であることが分かります。
それで私たちよりもお母様が先に苦難を受けられたと見ることができます。父母は子女の苦痛があれば自分が背負いたいと思う存在なのです。
お母様が先に責任を持たれ、先に獄に入られて甘受、感謝してくださったのです。今回の解散命令の苦痛は私たちの孤独な苦痛ではありません。父母が共におられるのです。
2026.3.5
今日もご参加くださりありがとうございました。
私たちは復帰摂理歴史の記録を参考にして信仰生活をして来ました。
しかし、原理講論や聖書の観点では正しいことでも天国を実現しようとする私たちにとっては参考にしたり真似したりしてはならない内容があります。それは今が天国実現の過程時代でなく、天国を実現する時代だからです。
例えば次の内容です。
『ヨシュアがレピデムでアマレクと戦ったとき、モーセが手を挙げているとイスラエルが勝ち、手を下げると敗れた。それゆえに、アロンとホルは、石を取ってモーセの足もとに置き、彼をその上に座らせて、彼の手が下がらないように左右から支えることにしたので、その前で戦っていたヨシュアは、アマレク王とその民を打って勝利したのであった』(出エ一七・10〜13)。
これは立てられた中心人物と一つになれば敵を打ち破り必ず勝利できるという教訓となっている内容です。このような考えを基にお母様と一つになればいかなる敵も退くという信仰観を持つ人がいると思います。
ここにはとても本質的な問題が含まれています。
それはお母様と一つになるにはどうすれば良いのかという問題です。
アロンやホルやヨシュアのようにするのがお母様と一つになることなのでしょうか?
イスラエル民族はアマレクを打ち破ることはできましたが彼らと一つになることはできませんでした。
これは世界が神側とサタン側に分かれて戦った世界大戦においても同様です。世界大戦で神側が勝利しましたが深い怨恨が残りました。
カインとアベルは兄弟でしたが一つにはなれませんでした。
私たちが兄弟の愛と呼んでいるものと本然の兄弟の愛はかなり違うようです。
私たちが知っている兄弟の愛ではなかなか一つになれません。
この課題を超えないと怨讐を愛する次元の愛には到達できません。
少し難しいと思われる方もいるかとも思いますが万有原力を例に考えてみましょう。
宇宙誕生の初めには万有原力という一つの力しかありませんでしたが、それが直ぐに4つに分かれました。
強い力、電磁気力、弱い力、重力です。これらは四つの力と呼ばれ性質の違う力ですが力ということにおいては同じです。
これと同様に神様の愛も父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛として現象化しました。
物理学における四つの力の根源は万有原力です。万物原力は性相的力で四つの力は形状的力です。それと同じく四つの愛の根源は神様の愛です。神様の愛は性相であり、四つの愛は形状的愛です。
何を言いたいかと言えば、兄弟愛の性相は神の愛だということです。神の愛は父母の愛です。つまり兄弟愛の性相は父母の愛だということです。
このように見ていくと私たちの知っている兄弟愛には性相である父母の愛が抜け落ちているということが分かります。
本来の兄弟の愛の深みには父母の愛があるということなのです。(本当の夫婦の愛の深みにも父母の愛があります。夫婦はお互いが父母の愛で接するのが基本なのです。)
モーセ、アロン、ホル、ヨシュアが対峙したアマレクは本来敵ではなく兄弟です。モーセ、アロン、ホル、ヨシュアがアマレクを兄弟として感じることができたらどうだったでしょうか?
更に兄弟の愛の深淵にある父母の愛の目でアマレクを見ていたならどうでしょうか?アマレクの戦士一人一人を父母の目で見つめて子女と感じることができていたなら殺し合いなどできるはずがないのです。
私たちを解散に追い込んだ岸田元首相を父母の目で見たらどうでしょうか?
大変な天法違反をしているわけですから本当に可哀想だという気持ちが起きて来ます。
文科省で教団が解散になるよう資料を作った役人の父母になって感じてみてください。大変な罪を犯したわけですからその罪によってどれほど大きな苦難を受けるか考えると可哀想だという気持ちになります。
皆さんを苦しめる堕落性の多い人も同様です。その堕落性ゆえにこれからの人生がどれほど大変かという気持ちが出てきます。
お母様と一つになるには、可哀想なお母様の境遇を偲ぶだけでは不十分です。
大事なことはお母様の父母の愛に似ることです。お母様が全人類に母なのでその母の愛に似ることがお母様と一つになる道なのです。
神様と一つになるのも同じです。徹底して父母の立場で見つめる、これをやってみませんか。
お父様が金日成と一つになれたのもこれでした。お父様の最大の怨讐であった金日成に会われる前に父母の気持ちに到達された上で平壌に向かわれたのです。
そのような高度な内容でなくても良いのです。今日愛し難かった人の父母になってみて今日を振り返ってみてください。その人に対する怨讐感が消えていくと思います。
私たちを解散に追い込んだ人たちの父母となって感じてみてください。
怨讐感が消えて可哀想だという気持ちが湧いてくると思います。
その気持ちが神様と自分の距離を一気に縮めます。
父母の気持ちで感じる、接することで神様と真の父母様の心情世界に一気に昇ることができるのです。
そこには敵はなく
怨讐はいないのです。
父母の愛の目を失ったことであらゆる問題が起きてきました。反対に父母の愛の目を取り戻せばあらゆる問題を解決できるのです。
私たちが父母の目で見つめて接することができるようになれば人が集まってきます。人間が一番好きなものは父母の愛だからです。
2026.3.6
今日もご参加くださりありがとうございました。
季節の変わり目で風邪をひいた方もおられると思います。
風邪になると熱が出たり、咳が出たり、食欲がなくなったり、体に力が入らなくなったりなどの症状が出てきます。これらの体の状態は本然ではないことを知らせる信号でもあります。
これと同じことが愛せない人が現れた時にも起こります。心の自由は失われて苦しくなります。愛せない思いは自分を苦痛に追い込みます。この苦痛から逃れるために相手が悪いという方向に持っていこうとします。しかし、そのやり方は楽になるどころか心はより苦しく悲惨になります。
これらは心が本然ではないことを教えてくれる症状です。
愛せない人が現れる時に心を通して神様は何を教えようとしておられるのでしょうか?
それは愛が本然ではないということですが、もっと分かりやすく言えば、自分が残っているということです。心の軸が自分にあるということです。
神様が、完成された真の愛とはずれているということを教えてくださっているのです。
愛せない人が現れた時の苦しみから解放される道をこの世の人は知りません。その思いが鬱積していきます。
酒やタバコに逃げたり、パワハラで解消しようとしたり、不倫に行く人もいます。また今回のように攻撃の対象を見つけて相手を非難し痛めつけて溜飲を下げたりします。今回、私たちはその餌食になりました。
餌食になった私たちも教会を奪った人たちを愛せない苦しみの中にいる方もいると思います。
神様はどうなのでしょうか?
私たちの比ではなく数限りない苦痛を通過してこられました。
御言の中には神様が恨の神様、怨恨の神様だという記述がたくさんあります。これは真の愛の神様という定義に矛盾します。
以前にもお話ししましたがわたしはこの問題を解決するために何年もかかりました。何しろ御言の中にある神様についての定義の矛盾に気づくのに何年もかかったからです。下記の御言をご覧ください。
『神様のみ旨を成し遂げてさしあげようと決意したことを私はよく知っています。神様の愛がこのようなものであるということを知り、ひざまずいて感謝し、許しの道を行かなければならないということをよく知っている人物です。血が吹き出しても解放の道を行かざるを得ない怨恨の神様だということを知る者はいません。私は拷問を受け、倒れそうな立場にあっても神様の前に祈祷をしませんでした。』
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 六 神様の解怨と孝子の道1.真のお父様が歩み来られた復帰の道
『天と地に染み込んだ怨恨がどれほど大きいかを知っているがゆえに、血を吐く立場にあっても神様を慰めなければならないのです。「私は死にそうです、神様、助けてください」という祈祷をすることのできない真の父母の立場に立たねばならない悲痛な事情を、誰が知っているでしょうか。知る人は誰一人いません。唯一神様だけが、神様だけが……。』
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 六 神様の解怨と孝子の道1.真のお父様が歩み来られた復帰の道
これらの御言を初めとしてあまりにも多くの御言に神様は怨恨や恨の神様だとはっきり書いてあるので、ほとんどの食口は神様は怨恨や恨の神様だったと思っている方がほとんどだと思います。その神様を真の父母様が怨恨や恨から解放されたという見方です。
一方、そうではないという御言がわずかにあります。
『愛には創造の能力があるゆえに、くたびれることはありません。愛の心をもてばいくら投入しても、消耗したエネルギー以上にいつでも補充することのできる愛の力があるがゆえ、疲れ果てることがないのです。ですから困難で苦痛でも嫌ではないのです。それが嫌だとすればどうしますか。愛のための道には永遠に嫌だという心はあり得ません。神様の本質には怨讐という概念はありません。悪の概念がありません。真の愛の中にあるからです。』
「真の神様」第二章 神様と創造の役事 一 神様の創造の動機は愛 1創造の役事は完全投入
真の父母様は全てを教えたら私たちができなかった時に大きな蕩減を負うということと、失った御言を見つけ出すという道の一部に私たちも同参するという恩恵を与えるために御言の秘密を自分で見つけるようにされました。
これはその峠となるような内容です。
堕落人間は人生において怨恨や恨に満ちた道を歩んでいるので神様が恨や怨恨の神様という方がわかりやすいのです。反対に一切の恨を持たれなかった神様というのは理解するのは簡単ではありません。
この問題は御言を全体的、包括的に捉えることで解けるようになっています。
真の愛について言われた絶対信仰、絶対愛、絶対服従という御言がその答えを教えてくれます。
特に絶対服従について次の御言があります。
『その次には、絶対服従です! 絶対服従とは、神様御自身までも存在意識がないというのです。・・・・・・・
絶対服従は、自分という意識がありません。相対としての存在意識だけなのです。』
「真の家庭と家庭盟誓」第二章 家庭盟誓各節の解説 二 家庭盟誓第八節の解説 2.絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって ① 創造原則と絶対信仰、絶対愛、絶対服従
神様の本質は愛であり、その愛は絶対服従の愛です。自分という意識がなく、相対としての存在意識だけなのです。
これは神様を理解するのに一番必要な内容です。
恨みや怨恨は自己意識から生まれます。自己意識がなく意識の全てが対象に向かう神様には恨みや怨恨が生まれようがないのです。
私たちが愛し難い相手に対して恨みや怨恨を持つ時、苦しくなります。苦痛を感じます。それは私たちの姿が本然ではない、真の愛の姿ではないと神様が教えてくださっているのです。
自己意識が残っていると教えてくださっているのです。
ところで、神様も初めから自己意識がなかったわけではありません。自己意識が消えて対象意識が絶対化するのに膨大な時間が必要でした。何しろ神様はずっとお一人でしたから自己意識しかありませんでした。
ご自分の心から自己意識がなくなるほど対象意識に占領される必要があったのです。そうでなければ天国はできないのです。神様が自分を主張し、被造物も自分を主張すれば対立や葛藤が生まれ天国は決して生まれないのです。
そこで神様はご自分の心が対象意識で占領される道を行かれたのです。
それは対象に精誠を投入して、投入したのを忘れてまた投入するという精誠に埋もれるような道を行くことでなされました。そうするうちに無限の時間と無限の精誠が投入されました。こうして対象、とりわけ人間は神様ご自身よりも遥かに重要で絶対価値のある存在として構想されたのです。それが完全に確立されたので天地創造を始められたのです。
それで人間が堕落して客観的に本然の価値を失っても神様にとっては絶対価値の存在であることは一切揺るぐことはなかったのです。
私たちは自分の堕落性や欠点を見ると神様に愛される自分ではないと思ってしまうのですが、私たちの堕落性や欠点で神様の愛が減少することはありえないのです。
さて、自己意識がなく対象意識だけになった姿は父母の姿となります。父母はそういう存在です。
神様は天地創造前に完全な父母になられたとも言えます。
それでは私たちは愛し難い相手が現れた時にどうすれば良いのでしょうか?
愛せない時に現れる苦痛や鬱々とした気持ち、あるいは憎しみ、排除したい気持ちは病の症状です。
この症状に陥った時に悪霊と相対基準がバッチリ合います。それで悪霊、恨霊、中心霊がやってきます。
私たちの過去に愛せなかった人や相手がいた時、それは心にしっかり残っています。恨みや怨恨の気持ちは強烈で簡単には消えません。これを心にしっかり固着させているのは私という自己意識です。サタンの専売特許です。
まずこれから解放される必要があります。
それには病の原因である自己意識を対象意識に変換することです。
過去に恨みや怨恨を持った人、対象に対して父母の目を向けることです。御父母様が金日成に会う前になされたやり方です。
私たちには更に呼名祈祷という強力な愛の武器が与えられています。
これは神様が天地創造前になされた精誠投入のやり方の相続です。過去の愛せなかった人を呼名祈祷することで相手に精誠を投入するのです。すると自己意識が消え、相手に対して父母の心情が生まれてきます。
父母の目で見えるようになってきます。すると愛せなかった当時の相手の事情が見えてきます。そしてもっと父母の心情が高まり対象意識が高まります。
これは過去の怨讐だけでなく現在進行形の怨讐に対しても当然威力を発揮します。
愛せない人や対象が現れて鬱々とした気持ち、憎しみ、排除したい気持ちが現れて苦しい時、それは神様のメッセージです。神様の役事です。
自己意識を捨てなさい。
父母の心情に至りなさいというメッセージです。
このメッセージを逃さず父母になろうとする時、神様と真の父母様に似ていくのです。
過去の怨みを父母の心情で超えていく時、悪霊、恨霊、中心霊も去っていきます。相対基準が消えるからです。
そして私たちが国家的迫害をしてきた人々に対して父母の目、父母の心情で対応するようになる時、日本の人々の私たちを見る目が変わってくるのです。
補足
復帰摂理歴史において神様の苦痛ははっきりありました。しかし人間の苦痛を思い何とかしたい思いが遥かに優ったのでご自身の苦痛は忘れてしまわれたのです。ですから神様にとって恨となっても当然の苦痛が山ほどあったのですが、人間を思う思いがあまりに強くて神様の心には恨として残らなかったということです。
一つの例を上げることができます。
お父様が留学先の日本から帰国される時に乗る予定だった船が沈没したという知らせを聞いたお父様のお母さん(忠母様)が、足に大きな棘が刺さったまま港に走って行かれ、お父様の安全を確認してからその棘に気づかれたという逸話と同じです。
獄中のお母様もこのお姿です。ご自身の苦痛はとても大きいのですが、神様への愛、食口への愛、人類への愛が遥かに大きくご自身の苦痛には気が回らないような状況だと思います。
真の愛の中におられるお母様です。
2026.3.8
遅くにすみません。
週末から与えられたことをお伝えできたらと思います。
皆様にもこのテーマについて考えていただければ幸いです。
⭐️神様、真の父母様、本然の私
自己意識はあるが絶えず対象に向かって愛が強く流れ、心が対象への思いに占領さている状態。このため自己意識がないかのような状態。
これが完成した人間の姿です。
(獄中のお母様の本当のお姿について私たちは知りませんでした。私たちの罪を背負って獄中で体の痛みや寒さを耐え忍んでおられる悲惨なお姿を想像する食口は多いと思います。お母様は自己意識が感ずる痛みや寒さや不自由さは感じておられますが、神様とお父様、私たち食口と全人類への強い愛の思いに心が占領されておられます。
ですからご自身の苦痛や寒さ、不自由さは忘れておられるのです。
真の愛の実体であるお母様の真実はまさにそれなのです。)
個性とは自己意識の個性ではなく、対象意識の現れ方の個性ではないだろうかと思います。
心がどのようにために生きようとするかの個性ではないだろうか?
つまり為に生きようとする時にその人の本然の個性が出現する。その時、初めて自分の個性に気づくのです。
ほとんどの人は心から他の為に生きようとは思っていないので本然の個性は出現していない。つまり自分の本当の素晴らしさは分かりようがないのです。
心が対象意識に占領される時、その人の創造本性が現れる。
心が対象意識で満杯になる時、心と体の統一が出現する。
『原理結果主管圏内で神様のために生き、互いにために生きる位置に立てば、自然に育つというのです。
ところが、これを悪魔が知って、自己覚醒させました。自己覚醒は、天使長から始まったのです。』
第四編 真の人間 第二章 人間の責任分担と堕落 第一節人間の成長と責任分担10 1988.10.16
『天国へ入って行くのに一番の問題とは何ですか。自分が怨讐だというのです。地獄やサタン世界は自我覚醒から生じたのです。天使長が自分を中心として考えたというのです。深刻に考えたというのです。逆賊とは何ですか。自分を中心として国と主権者を越えて考える人を「逆賊」と言うのです。自分を中心として上がって行くその頂上は、全て逆賊の道と通じるのです。地獄の道と通じるのです。人間自体において敗亡の道と通じるのです。自分を中心とするこの基盤は、死亡と通じるのです。』
「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 二 天国と地獄 5 地獄は神様の愛と関係ない所
⭐️堕落性を脱ぐ道
心が自己意識に占領される時、堕落性が噴出します。
この状態から抜け出すには堕落性を脱ごうと悶えるのではなく、自分の心を対象で一杯にすること。そのための最良の道が絶対服従ということになります。
『絶対服従は、自分という意識がありません。相対としての存在意識だけなのです。』
「真の家庭と家庭盟誓 」第二章 家庭盟誓の各節の解説 八 家庭盟誓第八節の解説 2 絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって ① 創造原則と絶対信仰、絶対愛、絶対服従
心が対象意識に占領されることが習慣化すると本然の個性が出現します。その時、神様が臨在されるので個性は神性となります。
2026.3.9
今日もご参加くださりありがとうございました。
イエス様が40日断食をしてサタンに対された時、石をパンに変えてごらんなさい、と試練してきました。石とは神様と真の父母を表し、パンはこの世を表しています。
神様とイエス様は石の世界を作ろうと摂理してこられました。サタンはパンの世界の繁栄を誇り、パンの繁栄によって神様とイエス様を飲み込もうと試練してきたのです。
この世はパンの文明です。神様と真の父母様が抜け落ちた肉体だけのような文明です。
私たちは神様と真の父母様を戴く石の文明を築こうという集団です。
この二つは共存できません。つまり必ずぶつかり決着をつける時がやってきます。
今回私たちは解散というパンチを食らいこのラウンドは負けました。しかしこれは初戦に過ぎません。
パンの文明は石の連中を葬り去ったと思っていることでしょう。
しかしこれは大逆転の始まりなのです。
宗教法人という制度はパンの文明が作り出したものですから、彼らの土俵で戦えば負けるようになっています。
重要なことは、これは一宗教法人の解散に関する法的戦いではないということです。これはパンの文明と石の信仰集団の本質的戦いなのです。そしてこの戦いは石の信仰集団が必ず勝つようになっています。ですから第一ラウンドの負けを悲しんだり落胆したりする必要はないのです。
何故でしょうか?
真の父母様は既に完全に勝利を打ち立てられたからです。それはお父様の命と引き換えに基元節で決定しました。
サタン勢力が残っていると言ってもサタン自体はもういません。ルーシェルに戻ったのです。
残っているのはインフルエンザワクチンのようなインフルエンザウィルスの死骸のような存在だけです。彼らも私たちの勝利をアシストする為に存在しています。
もう一つ重要な事があります。それは入宮式がなされた事で人間の復帰の第二ステージに入ったことです。
真の父母様が完全な勝利をなされたので、神様も地上で自由に復帰摂理をなされる時代になりました。私は神様が全知全能の力を持って剛腕を振るって摂理を進められると思っていましたが、予想は見事に外れました。
神様は真の愛で摂理されました。これは神様が真の父母としての姿を現されたということです。
御言も真の父母様も分からない可哀想な子女を救う為にその子女から打たれる道を行かれました。それを甘受、感謝することで生ずる善なる生力要素を与える為です。これは無知に陥った未熟児を生かすための母乳です。
この世の人々、パンの文明の中で死んでいく子女を救う御業を天の父母様と真の父母様が全力でなしておられます。
私たちはこの天の父母様と真の父母様の犠牲の愛を敏感に感じる必要があります。自分の心の波長と神様と真の父母様の波長を同期する必要があります。
法人格を失い教会という兄弟姉妹が集う場を失うという犠牲の道を行っているのは私たちだけではないのです。
私たちの犠牲によって韓国や世界の教会が守られ復帰が進むのならこれほど喜ばしいことはないのではないでしょうか?
何人も殉教者が出たわけでもないのです。宗教法人というパンの文明の制度を失っただけです。獄中の苦難を歩まれ犠牲の道を行かれるお母様、お母様と一体の神様も共に獄中おられます。
この程度のことで落胆していたら世界の三分の一を復帰し、世界超高速道路を作ろうとされるお母様の夢は誰が実現して差し上げるのでしょうか?
教会が清算人の手に渡ってしまって失われたならすぐにでももう一度作るという気概が望まれます。パンの文明との戦いはこれからが本番です。そして勝利は約束されています。
2026.3.10
今日もご参加くださりありがとうございました。
天地創造後、神様は人類始祖を祝福され全天宙を人間が主管するようにされました。ところが人間がサタンの愛に主管されることで祝福は全てサタンに移転しました。
『本来、創造理想の中では愛は所有を決定する様になります。愛の関係を結べば、その愛を中心に主体と対象は必ず互いの所有権をもち合うようになるのが原理です。従って、この原理的な基準でよく見る時、エバが天使と不倫なる愛の因縁によって堕落するようになったので、エバの後孫として生まれる人間の所有権は天使長であるサタンがもつようになったのであり、サタンはその所有権を堂々と主張出来るようになったのです。』 「真の家庭」第10章 復帰すべき人類の真の家庭 二 サタンの所有物になったアダム家庭
サタンが人間の所有権を持ったのでこの世界はサタン世界となりました。
サタンの奪った人間所有権と三大祝福を復帰する為に来られたのが真の父母様です。
サタンの愛によって奪われたのでサタンをアダムの代わりに立つ人物として愛したという条件を立てなければサタンを屈服することはできないと御言があります。
『神様は怨讐をたたき殺すのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンを、アダムに代わる立場に立つ人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗にすべて打ち勝って、耐えに耐えて自然屈服させて、神様の愛を抱いて戻ってきて初めて祝福を受けることができるのです。そこでサタンは放してくれるのです。』「罪と蕩減復帰」第三章 蕩減と復帰の公式 四 長子権勝利と父母権、王権復帰 1.長子権復帰
サタンはこの世の神として全ての権力と全ての富を握っていました。そのサタンを愛で自然屈服されたのが真の父母様です。真の父母様はサタンが奪っていった全てのものを復帰されました。そこにはこの世界の全ての権力と全ての富も含まれます。
神様は真の父母様が全ての権力と全ての富を持つ位置に立つようにされました。しかし、実際にこの世の権力や富を持っているのは誰でしようか?
韓国では李大統領、アメリカではトランプ大統領です。世界中の国はその国の元首や首相が権力者です。
これは天法から見るとどうなるでしょうか?
真の父母様の権力を真の父母様の許可もなく勝手に使っているのです。
逆賊の所業です。これは明らかな天法違反です。原理的に言えば罪です。
天法に違反すれば蕩減を受けることになります。権力者はその位置を失い、本来の所有者の所に戻るように役事が起こります。
富も同じです。世界の富やお金は誰のものなのでしょうか?
世界中の人々は真の父母様のお金や万物を勝手に自分たちの所有にしています。これは強盗の所業です。
天法に違反しているのです。それで蕩減を受けるようになります。
万物を持っている人はその万物を失い本来の所有者な所に戻る役事が起きます。
天法は極めて厳格です。マスコミは教会が無理やり献金させてお金を奪ったかのように報道しています。確かに実績を上げることに偏り過ぎて問題のあるやり方で捧げるようにしたケースもあったと思います。
しかしこの世の全ての万物は真の父母様の所有です。
私たちの行動はこの世の法律では違法とされましたが、天法から見れば全く逆です。この世は全て有罪です。
この世の法律と天法とどちらが絶対でしょうか?
この世の権力者や自己所有物を持つ人は真の父母様の権力や万物を自分のものとして使っているので滅んでいくようになっています。
この観点は極端な意見のように思う方もいるかもしれませんが天法から見た真実です。
天法は神様が立てられ神様が運用されます。
この世が真の父母様の権力や万物を勝手に使えば、それらがその人たちの手を離れ真の父母様の元に帰るように神様が役事されます。
真の父母様が勝利されたというのはそういう勝利圏を伴います。ですから私たちの勝利を信じる必要はないのです。必ずそうなるのです。
ですから世界は必ず神様と真の父母様を中心とした世界になるしかないのです。これが本当なのかどうかご自身で祈ってお確かめ下さい。
万王の王の一人娘、真のお母様を獄に入れた罪はどれほど大きいでしょうか?
真の父母様の子女たちの教会と万物を全て奪い機能不全にした罪はどれほど大きいでしょうか?
天法に違反して大罪を犯したサタン勢力は必ず損害賠償しなければなりません。この罪の蕩減として韓国と日本を天に返さなければならなくなるのです。その足音が近づいています。
これからとんでもない大逆転が始まろうとしています。
2026.3.11
今日もご参加くださりありがとうございました。
ここでは詳しく説明いたしませんが、復帰摂理の95%を背負われた神様とは昼の神様です。人間と共に復帰摂理を背負われました。人間の堕落によって昼の神様も失敗した立場になったため人間と共に復帰の責任を負われました。
一方、人間が堕落してもその絶対性が不変である神様がおられます。夜の神様です。夜の神様は完全な絶対者であり天法の主人です。
夜の神様は天法に従って摂理をしてこられました。
天法は愛から生まれたものです。しかし人間が罪を犯せばいくら愛する人間であっても罪を蕩減する道をいくようにされます。天法は厳格です。
人間は堕落することで神様とサタンを含めた万物に永遠に消えないほどの大きな苦痛を与えました。
これが罪です。罪とは損害を与えたことを指しています。人類始祖が与えた損害、先祖が与えた損害、集団が与えた損害、個人が与えた損害、これらが原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪です。
人間はこれらの損害を賠償する責任があります。
これらの損害を賠償する事が蕩減復帰です。
蕩減とは韓国語で借金を全部帳消しにすることを意味しています。韓国のキリスト教の説教では負債や罪のゆるしの意味で蕩減という言葉が頻繁に使われているようです。
こうして見ると蕩減復帰とは損害を全て清算して元に戻ることを意味している事が分かります。
損害は必ず賠償しなければならないというのが天法です。
万王の王戴冠式によって夜の神様と昼の神様は完全に一つになられました。それで今は天法の管理者は天の父母様となりました。
この天法はサタンやサタン勢力に対しても確実に適用されます。
その事が次の御言にもあります。
『神様は、利他主義の立場で再創造摂理をされながら、ために生き、また、ために生きながら、打たれて奪ってくる作戦を取る一方、サタンは自分中心の立場で、先に打っては損害賠償までしなければならない道を歩んできたのです。神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。このように、善の側は打たれ、追害され、犠牲を払いながら発展していきますが、サタンはその反対です。』第一篇 神様 第四章 解放してさしあげるべき神様 第二節 再創造される神様
真の父母様は完全な勝利をされたので、真の父母様とその子女である私たちを打てば必ず損害賠償しなければならないのです。
お母様の入獄と日本の宗教法人解散命令、これによってお母様と私たちは打たれました。サタン勢力はこれを必ず損害賠償する道をいくようになります。天の父母様、万王の王が天法に従って役事されます。
今までの歴史では、堕落して天宙に損害を与えた人間がそれを賠償する為に苦痛と不幸の道を歩むように役事は起こりました。
しかし今や完全な蕩減復帰を完了され一切の讒訴条件のない真のお母様を打ち、その子女の教会を打ったことは、とてつもなく大きは損害賠償をしなくてはならないという天の判決となりました。
お母様が素直にこの世の司法の判断に従って獄に入られたのは、それによって復帰が猛スピードで進むからです。日本においても打たれた分、サタン勢力は力を失い滅んでいくのです。
この世の法の執行によってお母様は獄に繋がれ、私たちも法の執行によって教会を失いました。
しかし神様による天法の執行によってサタン勢力は確実に滅んでいきます。
その時は遠からずやってきます。全知全能の神様の力をこの世も私たちも知ることになります。
『堕落した悪の先祖の世界が、地上世界の個人から天上世界の地獄まで門を開いたので、それをすべて撤廃する仕事を真の父母がしなければなりません。それをしようとすれば、世界史的な迫害を受けなければなりません。そのままでは解決ができないのです。打たれて復帰してこなければなりません。打たれてから、必ず損害賠償を請求するのです。善の人が行く道は、打たれて復帰してくる道です。いつも善の人は打たれました。打たれて歴史が過ぎたのちに発展するのです。』第三篇 真の愛 第三章 真の愛の実践 第一節 真の人生の道28 1990.12.28
『神様を解放するのです。そうすれば終わりです。神様が思いどおりにすることができるのですから全知全能の神様の全権全能を行使する時代が来るので、そこは泰平王国とならざるを得ないということを知らなければなりません。』「真の神様」 第四章 五 神様を解放してさしあげよう 2.神様の解放は人間がしなければならない
今回はサタン勢力がお母様にまで手をかけたのでサタン勢力が滅ぶのには時間はかかりません。
2026.3.12
おはようございます。
次々に感じることがあるので追加いたします。御言の深みに関心のある方はお読みになってみてください。昨夜の配信の内容の解説でもあります。
『神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。』という御言は皆さんも何度かお読みになった事があると思います。
この御言は、そうだ!と思いながらもどうしてそうなのかという謎は解けていませんでした。
堕落論の第4節には、罪とはサタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることのよって、天法に違反するようになること、とあります。要するに罪とは天法に違反することだと分かります。
真の愛が絶対であるように、真の愛から神様が決定された天法も絶対です。
私たちは天法の全貌は知りません。しかし、良心は天法の働きの受け皿のように思います。良心の声を具体化したのが宗教であり、より明確に具体化したのが御言だと思います。ですから私たちは普段から良心の声、即ち天法の働きを感じているので御言を理解できるのだと思います。
『宗教の教えは、「為」にして、絶対服従して、犠牲奉仕せよというものですが、世の中にはこの様な事はありません。これは、世の中の何も分からない乞食の輩がする事のようですが、天法を知らなくとも福を受ける事が出来る様にする為の、サタン世界に対する神様の暗号による作戦でした。』「地上生活と霊界」 第四章 天国 二 天国に行くための準備 4 天国の本質
しかし私たちは天法の全てを知っているわけではありません。罪、蕩減復帰も天法の観点から捉える必要があります。
『神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。』という御言は天法から出てくる内容です。損害を与えたなら必ず賠償しなければならないという天法があるのです。
蕩減復帰はその天法から出てくる内容です。
天法は神様が絶対であるように絶対です。ですから天法に違反しないように心がけて生活することがとても大事なのです。
天法を教えてくれるのは御言と良心です。良心の声を敏感に感じる必要があります。天心苑祈祷会に参加すると良心の力が強くなっていくのを感じます。もちろん愛の温度も上がります。
ところで創造原理にある原理の力は分かったようで分かりにくい概念です。原理の力は良心の力と言っても良いと思います。つまり原理の力とは天法の持つ法的力ではないかと思います。
『本来、天法に従っていけば、自分自身が滅びるのを防備してくれ、保護してくれようとする心があるのです。本来あるものとは何でしょうか。これは、神様に本来からその様な心があるので、人間にも本来からある様になったのです。自分が作った法でないという事です。「良心よ、私がこの様な為にこうだ」と、そう言いますか。「私の考えがそうである為に、そうであるべきだ」と命令するとして、良心が作用しますか。どこだか分かりませんが、他の所から命令を受けるのです。その様な感情が、自分を支配する事を見る時、これは公私問題を中心として支配するという事が分かるのです。』(三一―二四一)第二章 死と霊界 第二節 死に対する理解 七 死ぬ前にすべき事 ⑥ 公的な仕事をせよ
2026.3.12
今日もご参加くださりありがとうございました。
私たちは絶対服従の群れなので自分が無いことを良しとします。ですから目標はすでに決まっています。
お母様の願いが私たちの願いです。
お母様の第一の願いはご自分が解放されることではありません。
お母様の願いは神様の夢の実現です。
私たちも焦点をそこに合わせましょう!
私たちの焦点が正しく合っているならば神様の役事は必然です。
なるか、ならないかは心配しないでください。
お母様の夢の実現のために無私の気持ちで御旨実現に向けて歩む子女は神様の喜びの絶対的対象です。
ですから必ず導かれます。お母様につながって、お母様の願いを成して差し上げたいと思うだけでお父様を中心とする絶対善霊界が全力で応援してくださいます。
このため自分の力の数千倍、数万倍の目標を達成できるようになっています。お母様の願い実現しようとする時、その目標が小さいと絶対善霊が協助する気持ちが薄れます。お母様の願い実現の目標は高く、高くしましょう。
それが絶対絶対善霊の協助を呼び寄せる秘訣では無いかと思います。
2026.3.13
今日もご参加くださりありがとうございました。
獄中のお母様の心情をよく知らなくてはならない時だと思います。お母様はイエス様、お父様に続く第三のメシヤであるので、イエス様やお父様の路程が参考になります。その一部が今日の天心苑祈祷会で与えられました。
・ポイントなるのは熱い愛の目です。
・そして本然の人間の持つ神性である絶対服従の姿勢すなわち自分が無いことです。
・更に復帰における重要な原理です。それは『神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。』という御言が示している内容です。
この三つの観点でメシヤの歩まれた道を見つめる必要があります。
新約聖書を見るとユダヤ民族の不信仰によって十字架の道に追い詰められていくイエス様の姿が描かれています。
イエス様はエルサレムに行かれる前あたりから十字架の道を仄めかされました。そしてイエス様が、それが決定的だと判断されたのは三弟子と共に祈られたゲッセマネにおいてであると考えられます。
イエス様は十二弟子、三弟子に裏切られ、烏合の衆のようについてきた賛同者たちもいなくなって反対勢力の渦に巻き込まれて十字架にかけられようにみえますが、そうではありません。
イエス様の十字架上の最後の祈りである
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」は十字架上で突然出てきたものではありません。イエス様の抱いてこられた覚悟を表しています。
生きて御旨成就する道がなくなった後でもイエス様には自分という思いがありませんでした。いかに神様の救いの摂理を進めるか、だけが気に掛かっていました。
そして救いにおける重要な原理『神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。』という原理もご存知でした。
それは次の御言からも分かります。
『皆さんが分かる原理を教える程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理です。先生の時の原理ではありません。』
祝福家庭と理想天国Ⅰ P802 「祝福の意義と価値」第四節 祝福を受けるための蕩減条件
この御言から見ると、私たちの知っている原理講論にある原理はイエス様も知っておられたことが分かります。
原理講論後編のイエス路程には次のようにあります。
『サタンは、自己の最大の実権を行使して、イエスを十字架で殺害することによって、彼が4000年の歴史路程を通じて、その目的としてきたところのものを、達成したことになったのである。このように、イエスをサタンに引き渡された神は、その代償として、イスラエルをはじめとする全人類を救うことができる条件を立て得るようになられた。それでは神は、どのようなやり方で罪悪人間たちを救うことができたのであろうか。サタンが、既にその最大の実権を行使してイエスを殺害したので、蕩減復帰の原則により、神にも最大の実権を行使し得る条件が成立したのである。ところで、サタンの最大の実権行使は、人間を殺すことにあるのであるが、これに対して神の最大実権行使は、あくまでも死んだ人間を、再び生かすところにある。そこで、サタンがその最大の実権行使をもって、イエスを殺害したことに対する蕩減条件として、神もまた、その最大の実権を行使されて、死んだイエスを復活させ、すべての人類を復活したイエスに接がせ(ロマ一一・24)、彼らを重生させることによって救いを受けられるようにされたのである。』
これは『神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。』という御言そのものです。
こうして見るとイエス様はご自分が打たれることで神様が飛躍的な復帰の御業をなすことができることを分かっておられました。
つまりイエス様の十字架路程は反対勢力の攻勢によって受け身的に起こったことではなく、イエス様が命を捧げてなされた攻めの御業であることが分かります。
お父様の道も受け身によってなされた事はありません。『神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。』という原理に基づいてなされた攻めの犠牲の道でした。興南に行かれる時も途中で逃げる事ができたけれども覚悟を決めて興南に行かれたというような内容の御言があります。
ダンベリーの時もアメリカから韓国に行かれれば刑を免れることができましたが、攻めて行かれました。
このような観点でお母様の入獄を捉える必要があります。お母様は御言の実体なので自分という意識がありません。
また熱い真の愛が燃え盛っています。
『神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。』という御言もあまりにも良くご存知です。
するとお母様のソウル拘置所での入獄は御旨を実現するための攻めの姿勢から出たものであることが分かります。
拘置所への勾留が決まる前の段階で、お父様はお母様の解放は間も無くなされると言われました。それは皆様も覚えておられると思います。
お母様には讒訴される条件は何も無いとも言われました。しかし勾留は起こりました。
お父様の見解とは違う結果になったのはどうしてなのでしようか?
それはお母様が打たれることで復帰する道を行くのを加速されたからです。
お母様には生きている間に神様の夢を実現するという神様との約束があります。しかし時間がないのです。
このため天国実現にかかる時間を短縮するために獄に行く道を積極的に選ばれたのです。
拘置所におられるお母様は神様の夢の実現のために攻めに攻めておられるお姿です。
私たちはこれをはっきり知る必要があります。
苦痛を耐え忍ぶ弱々しいお母様ではありません。
可哀そうなお母様を思い涙することも尊いのですが、もっと大事なことがあります。
私たちも今こそ攻める時です。お母様が拘置所で天国実現のための条件を加速度的に立てておられます。そこに焦点を合わせる必要があります。
お母様の命懸けの精誠によって今までは到底不可能だったことが実現する勝利圏が形成されています。
私たちは落胆して嘆息する次元に止まってはならないのです。
お母様はこの時こそやれる!と攻めの姿勢で突破しようとする者を待っておられます。
その期待に応えましょう!