天心苑に集う兄弟姉妹
天心苑摂理は別次元に突入しています

2025.6.24
今日は教団解散請求裁判について考えされられました。
色々な見方、見解があると思います。
私が感じたのは、この裁判で要求されている賠償金数十億を、なぜ私たちは作る力がないのだろうか?
それから、賛同議員たちがどうしてあんなに簡単に裏切るのだろうか?
どうして繋ぎとめる力が私たちにないのか?という事です。
これは明らかに私たちの力不足だとしか思えません。
この原因はどこにあるのでしょうか?
真の父母様は三大祝福を、サタンを屈服する事で完全に復帰されました。
第二祝福は人間主管権であり、第三祝福は万物主管権です。
真の父母様は人間を主管し、万物を主管する完全な権限を持っておられます。しかし、これには原則があります。それは、それらの権限は子女を通して実現するという事です。つまり、私たちを通して現実化するのです。
私たちが真の父母様と一体となる必要があるのです。
もうお分かりだと思いますが、問題は私たちが真の父母様と一体化する基準に達していないという事なのです。
私たちは一体化を目指してきましたが、あまりに甘く考えて来たのです。
どうもこの点を真剣に再検討しないと私たちの勝利は遥か彼方のように感じます。
今日、お母様の自叙伝を訓読していると、(国際ハイウェイを作る事を通して)私は神様が切に願ってこられた世界平和を成し遂げるでしょう、とありました。
世界ハイウェイの建設費用は300兆以上になります。日韓トンネルが約10兆円、ベーリング海峡の橋が約16兆円、その他の費用合わせて合計300兆円以上と思われます。それでも日本の国家予算の3年分あればできます。天文学的な数字ではありません。アメリカの国家予算は1150兆円です。国際ハイウェイを余裕で作れます。
お母様の在世に少なくとも日韓トンネルは完成させ、全長の着工が決定する必要があります。
数十億も作れない私たちの現実があまりに情け無いです。
私たちの目標があまりに小さいと感じます。
なぜそうなるかといえば真の父母様との一体化によって出てくる目標ではないからです。私たちはいつもこれで失敗してきました。真の父母様の高い目標を自分たちの今の力で判断してきたのです。
お母様の在世に世界人類の3分の1を復帰しなくては、私たちは黄金期を逃したことになります。国会議員に簡単に裏切られるような事では世界的目標の達成は到底不可能です。
真の父母様の所に全人類を主管する権限と世界にあるお金、何京円を主管する権限があります。私たちが真の父母様と一つになる事ができないのでこれらは宙に浮いています。
真の父母様との一体化が甘いところから脱却する必要があります。
完全な一体化は自分の命までも捧げる基準によってなされます。真の父母様を命よりも愛する事で到達します。その決意を再点検する所から始める必要があります。
自分の力のレベルから出てくる目標ではなく、真の父母様に命を捧げて真の父母様と一体となる所から出てくる目標にすべきだと思います。
そうしないとお母様の「私の代で、この不幸の歴史に決着をつける」という決意を実現できなくなってしまいます。
これが実現できなければ、私たちは地を叩いて慟哭する事になると思います。
今日は如何に自分の考えが甘いのかを思い知らされました。

2025.6.25
イエス様の時に従っていった弟子たちはその深刻に位置が分かりませんでした。イエス様を十字架につけるという結果になり、生きている間にイエス様に命を掛けることができませんでした。
それで外力によって命を捧げる道をいく事になりました。それは悲惨な死の道でした。彼等はユダヤ社会では下層にいる人たちでしたが、それは関係ありませんでした。その位置についた限りは、その位置に従って栄光を受けるか、悲惨な蕩減の道をいくかが決まるのです。
真の父母様の道はいつもお父様が中心の立場でお母様は目立たなくしておられました。(今考えるとこれは余りに凄いことです。この時代、お母様の本当の実力を隠しておられることを誰も知りませんでした。)
お父様はイエス様に続く第二のメシヤの位置でした。
しかし私たちはイエス様に従った弟子たちと同じかそれ以上の不信仰をしました。お父様が生きておられる時に命を捧げて侍る事ができませんでした。それでとんでもない蕩減の道をいく運命でしたが、お父様とお母様が蕩減を引き受けてくださいました。
私たちは何も分からず過ごして来ましたが本来なら大罪人です。
1991年6月にお父様が顧命性宣誓宣布において、王の遺言の価値性を持って、お母様を正式に第二教主に立てられました。
お父様はご自身の行かれる道を予測されて、後継者としてお母様を立てられました。これは、お父様がイエス様から使命を引き継がれたのと同じ意味だと思います。実際、この宣言が発動したのはお父様の聖和後です。
お父様は悲惨な最後を行かれ、使命はお母様に引き継がれました。こうして見るとお母様は、イエス様、お父様に続く第三次である事がわかります。
これは私たちにとって最後のチャンスです。イエス様もお父様も命懸けで歩まれましたが、弟子たちは命懸けではありませんでした。それは歴史的な大失敗でした。
しかし、私たちは最後のチャンスを与えられました。私たちの過去の実績や位置は全く関係ありません。重要なのはお母様に喜んで命を捧げて歩めるかにかかっています。
人類始祖は神様のために命を捧げる事が出来ず、サタンに命を捧げました。命を捧げるのは蕩減復帰の意味もありますが、本然の世界でも命をかけて生活します。命をかけるのは人間として生まれた宿命です。命は自分のためにあるのではなく、神様と真の父母様に捧げるためにあります。
好むと好まざるとに関わらず、私たちは分岐点に立っています。
第三次のお母様の前にいる私たちです。行くべき方向は二つしかありません。死なんとするか、生きんとするかです。
お母様が生きておられる間に後悔のない正道を行くしかありません。しかも狂うように喜んで、死んでもいいと踊りながらです。
私たちが立たされている位置に負けないよう頑張りましょう!

2025.6.26
今日は15歳で国の為に戦い散っていった学徒兵の証詞がありました。命をかける証詞には心が動きます。
絶対善霊の方々の中にも殉教キリスト教徒をはじめとして命を捧げていった人が多くいます。彼らは霊界で称賛される証詞ができる宝物を持った人たちです。
それでも孝進様、興進様、大母様を見ると、自分は命を捧げる道を歩んだが、ご子女様や大母様のように真の父母様に命を捧げる歩みをしたかったと残念がるのです。
また、天のために命を捧げるような人生ではなかった人たちも絶対善霊になってみると、孝進様、興進様、大母様の様な道を行きたかったと切実に思うのです。
また、真の父母様に命を捧げられた孝進様、興進様、大母様でも、ホーリーマザーハンとして歩まれる今のお母様に命を捧げたかったという身もだえる様な思いを持っておられます。
私たちは自分の願いの実現の為に霊界の協助をお願いします。しかし、絶対善霊の方々の願いもあるのです。それは肉身のある私たちを通してホーリーマザーハンに命を捧げる歩みをしたいという事です。この切実な思いを感じる必要があります。そしてその切実な思いを叶えてあげる事がとても大事です。そうすれば絶対善霊の方々は命をかけて地上人に協助してくれるのです。
こうなればお母様の願いは実現します。これが私たちが行くべき道だと思います。


2025.6.27
天心苑祈祷会は400回まで8人しかいなかった参加者が、今や全世界6万人が集うまでになりました。しかしここからが大爆発の第三ステージに入ります。
お父様もお母様も戦争の様に祈りなさい、と言われます。
これは今が過去と違って戦争モードに入っていることを意味します。
戦争では自分の死を恐れていては負けてしまいます。毎日が命懸けです。
私たちが共同作戦をとるのは霊界の絶対善霊の方々です。この方々は地上で100年に相当する霊界の100日修練会に参加されて、神様と真の父母様のためなら命をかけて当然という基準が確立しています。
死を恐れない軍隊は最強です。これはいかなる邪悪な霊にも負けない基準です。それで霊界の悪霊圏を次々と屈服させ、今や霊界の大半が絶対善霊です。
霊界ではお父様が総司令官として絶対善霊の方々を率いておられます。一方、地上の総司令官はお母様です。この戦争は霊界、地上界合同連合軍で行われます。しかし、お母様に従う私たちの基準は合格とは言えない状態です。
私たちの足りない分をお母様が無理を重ねて補っておられます。私たちが足りない状態ではお母様の苦痛はなくなりません。
私たちも戦争モードに入らないと、この戦いは勝てません。今までは霊界の絶対善霊の方々の基準と私たちの基準があまりに違うため共鳴できず絶対善霊の方々の役事が十分になされませんでした。
しかし私たちが戦争モードになれば絶対善霊の方々と完全に共鳴できるようになるのです。
過去の戦争において兵士たちは義務、使命で戦ったと思います。しかし、私たちは喜んで命を捧げる道をいくべきなのです。感謝、感謝で命を捧げる気持ちで進むならば、絶対善霊の方々も感動して役事にも力が入ります。
天心苑に参加しておられる皆様、私たちには既に兵士として戦争に参加するように天から召集令状が送られています。
しかし、これは強制的な令状ではありません。戦場にいくかどうかは自分で決める必要があります。これを私たちの先祖も固唾を呑んで見つめています。
この令状に応えて参戦する食口が増えていけば更に次元の違う役事や奇跡が起きてきます。間違いなく集まってくる人が幾何級的に増えていきます。そうすれば人類の3分の1の人々が集まってくるようになります。
後悔のない人生となるか、後悔しかない人生となるか、その分岐点に来ています。

2025.6.28
今日、金曜日の天心ウィークリーは凄かったです。
金チーム長の証詞の中で、お父様が、お母様のために命をかける人を探しているという話がありました。
お母様が探しておられる針というのはこのことだと思いました。
2世から針が現れていますが、私たちも当然針になることを願われています。
天心苑祈祷会に参加する日の朝や昼間、あるいは土日に真剣にお祈りを捧げるのが大事だと感じています。
私は田舎に住んでいるので、人が来なくて思いっきり祈れる場所が何ヶ所かあります。川沿いの奇麗な景色の所です。毎日そこを巡りながら祈っています。
都市部に住んでいる方は特に、時々でも景色の良い自然豊かな所で大声で祈る事が大事だと思います。都会は霊的に良いとは言えません。
命をかける、あるいは命を捧げるという気持ちは、初めは恐れを伴いますが、それを突破すると限りない幸福感がやってきます。恐れに打ち勝つ信仰と愛がポイントだと思います。
天の父母様が地に降りてこられて、良いものを下さると期待した方も多いと思います。しかし、天心苑では真の父母様に命を捧げなさいという強いメッセージが連日発信されています。
それは神様や真の父母様が到達された本当の幸せを私たちに感じてほしいからです。
死線を突破する祈祷を一回でもすれば、後は大きく開かれた世界が見えてきます。そのような恩恵圏時代に入りました。
一度突破すれば限りない幸福感がやってきます。
その一回が大事です。0と1では全く違うのです。
初めは、命を捧げる心情に至らせてください、というような祈りから始まると思います。この祈りの期間がしばらくあると思います。祈り貯める必要があります。焦らないでないでください。
少年学徒兵のメッセージにあったように、死ぬ時の記憶がないと言っていた事がポイントです。気がついたら死んでいたという感じだと思います。
興進様は交通事故で何日か生死をさまよわれましたが、意識はありませんでした。孝進様の場合はあっという間だったと思います。
ですから死の苦しみをいかに耐えるかを考える必要はありません。大事なのは命を捧げようとする気持ちです。
悔い改めるべき事がたくさんある私たちです。悔い改める心情を基盤として真の父母様に命を捧げる心情に至らせてくださいという祈りはとても尊いです。
ここから更に進める方は、喜んで命を捧げますので、どうか受け取って下さい!という祈りに行ってください。
この場合、狂うように喜んで、死んでもいいと踊りながら、という御言にあるように心から喜んで命を捧げる心情で祈ることです。
ここに至るまでかかる時間は人によって違います。私は13年かかりました。
それも天心苑時代の恩恵故です。そうでなければ未だにできずにいると思います。できたと言ってもまだ不十分です。
しかし、今は以前とは違い勝利圏があまりに大きいです。特に天心苑祈祷会の基台の上に立っている方は、それこそあっという間に達成されると思います。実際、その基準に至っている2世が針と呼ばれています。
一世も御旨を先駆け歩んだ心意気を見せたいものです。
お父様がこの基準に達することを切実に願っておられます。
これは親孝行の真髄だと思います。
共に頑張りましょう!